くらすひ

ぼんやりしているくらしの雑記

湖岸にて

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夕方。いつのまにかこんなに涼しくなってしまいました。自転車で家まで帰る道すがら、湖の岸辺にベンチがならんでいるので、そこに自転車をとめて、日が暮れるまでぼんやりしました。西日があつくてたまらなく、ぼんやりなどできなかったちょっと前の日々、今年も夏は終わっていくのですね。
 
湖は海とはまた違う良さがあって、大きく波が寄せては返すということをしないので、穏やかだし、ずっとそこで、なにかがたゆたうのですね。水面のところで、細かな水の揺らぎがずっと、さらさらさら~としてるんです。光がそこに反射して、短い白い線が生まれて消えて、それをずっと繰り返しています。対岸には山も見えます。山の稜線を端っこから順に目でなぞっていく。じー、とそれを見てると、自然にはかなわないよナ。と思います。

湖岸でボー、としてると、いろんな人が通り過ぎていきます。散歩中のおじいちゃんがよく通ります、釣りをしているおじさんも多くいる、ランニングをする若い人、親子連れ。今日は、自転車でお父さんと小学生低学年くらいの男の子が通り過ぎました。シャーと勢いがよかったので、その男の子の背中に縦書きでカタカナの文字がかいていたんだけど、読み取れなかったんです。なんだったんだろう、一番最初の文字は「ス」だった気がするなァ、気になる、おもしろい、と思ってまた違うことを考え出した頃、その親子が同じ道を戻ってきたのです(!)目をこらして男の子の背中を見てみたら、「チョコボー」ってかいてました。チョコボー?「チョコボーの、謎」と思って、また水の上のきらめきを眺めました。全然最初の文字「ス」じゃなかった。楽しくなってきます。
家に帰って「チョコボー」を調べました。

これです。
妖怪ウォッチのチョコのお菓子みたいですね。こういう縦書きで、チャイナなデザインっぽくて、かわいかったです。

ただぼんやり座ってるだけでも、たのしいことがたくさん起こります。

いつのまにか日が暮れてきて、遠くにかかる橋の電灯に光がともりました。角度によって緑っぽかったり黄色っぽかったりする光です。その光を見つめながら、「悲しくてやりきれない」を口ずさみました。(最近聴いてばかりいるので。)

前回かいた記事:かなしくてかなしくて - くらすひ

いろんな方がカバーされていますが、ザ・フォーク・クルセダーズの原曲は、すてきですね。昭和の音楽は、悲しいので好きです。最近は、過去の時代への興味が尽きません。


「悲しくてやりきれない 」ザ・フォーク・クルセダーズ(The Folk Crusaders)

暗くなってしまったので、自転車を走らせて、家へ帰りました。目の奥に残った光がきらきらします。水の力はすごいのです。家に帰り、カレーライスを食べました。とても良い日です。

かなしくてかなしくて

7月の終わり頃のこと。京都の「立誠シネマ」が7月末で閉館、そののち移転するということで、見納めをするべく、行ってきました。「何を観よう」と悩んだものの、「この世界の片隅に」にしました。ずっと観れていなかったんです。


映画『この世界の片隅に』予告編

2016年に公開され、観られた方も多いのでは、と思います。立誠シネマのちいさな上映室で、ぎゅうぎゅうたくさんの人と肩を寄せて、じいっと見入った2時間。わたしのこころは、あの時代にとんでいきました。

8月。毎年、お盆の時期が近づくと、やっぱり、戦争のことを考えます。「終戦の日を、今の若い人は知らない」というようなインタビューがテレビでやってたりしますが、「そうでもないよ」とも思います。わたしはいくらでも知りたい、ほんとうに大変だった時代のことを、そこにたしかに生きていた人たちのこと。想像するだけで、ざわざわと皮膚の内側がふるえます。そういう若い人たちは、たぶん、たくさんいます。

広島市から、呉市にお嫁に来たすずさん。軍港の街、スケッチブック、着物を仕立て直したもんぺ、摘んできたスミレの花のお味噌汁、降り注ぐ爆弾。そういう日々が、ほんとうにあったこと。戦争の中で、すずさんは恋をしたし、家族を愛したし、料理をして、洗濯をして、歌をうたい、絵を描きます。そうして、愛する人を失ったり、うちひしがれたり、します。そういう人たちが、ほんとうに、たくさんいたのですよね。

映画を観終わって、シネマの外に出ると、蒸し暑い日本の夏がありました。8月です。わたしのポケットにはスマートフォンがあるし、そこかしこに食べ物があふれているし、京都の大通り、お店と車と行き交う人たち。駅までの道を早足で歩きながら、わたしはなんだか、涙がでてしまいました。

戦争が降ってきた時代を生き抜いた人たちのおかげで、わたしは生まれてきました。敬意を込めて。

 


コトリンゴ 「悲しくてやりきれない」

(音楽はコトリンゴ。かなしくて、やさしくて、うなだれてしまいます。)

さいごに。お嫁に来たすずさんと、その旦那さん周作さんのやり取りが、かわいくてうつくしくてやさしくて、いつまでもいつまでもこの二人を見ていたかったです。あんなにドキドキして泣きたくなるキスシーンはめったにないです。(キャ~)
そういえば、映画評論家の町山さんが「この映画の恋愛面はエロチックなんですよね~、エロチシズムが絶妙なんですよね~」と言っていたのですが、まさに、「わかります!」と挙手したくなります。
愛する人とくらすこと、やさしい口調で話すこと、肌が触れあうこと、守り合うこと、すてきです。周作さんみたいな男の人、そりゃあー、好きになりますよネ。

時代はいつまでも進んでいくし、わたしの明日も続いていきます。ふしぎなきもちです。どうしよう。この映画のことを、だれかと、はなしたいな。

 

 

砂漠とビルとポカリスエット

大学生の頃、芸術と広告をかじる勉強をしていて、テレビCMに関するレポートをかく課題が出ました。PCのフォルダを整理していたら、そのレポートのデータが出てきたのですが、わたし、このコマーシャルにたまらなく心惹かれていたなって、思い出しました。

ポカリスエットのCMなのですが、2010年くらいに放送されていたものだったと思います。わたしはまだ10代だった。北野武の語りと、カラカラに乾いたどこかの国の街と、鉄やコンクリートと、砂漠と、青いパッケージのペットボトルと……。かっこいいなって思いました。

それから、音楽がとてもよくて。toeの曲なのですが、音源化されていなかった(?)ので、動画サイトを無限ループしたりしてずっと聴いていました。夏の日に乗り物などに乗って聴いていると、特別な場所にいるような感じがしました。

toe」は日本のポストロックバンドです。学生時代、滅茶苦茶きいてました。

For Long Tomorrow

For Long Tomorrow

 


このCMはほかのバージョンもあって、どれもスタイリッシュで、壮大で、うつくしく、なんだか強いです。


ポカリスエットCM | たけしと少女 篇

こちらの音楽は「ネルマレ ~After long tomorrow~」(toe feat. Maia Hirasawa)。


その時かいたレポートを自分で読み返してみたのですけど、(とても恥ずかしい。)タイトルに「15秒で終わらない広告」とか、つけてました (とても恥ずかしい。)まずこのCM30秒ですし。
このタイトルの意味がどういうことかというと、たとえば、砂漠のシーンで表示される900という文字と、人間が一日で失う水分が900mlだという説明が語られるシーン。これは、900mlの大きさのペットボトルの商品とリンクさせているようなんですね。(お茶とかだと1L、コーヒーやジュースは900mlが多いです。)でもこのCMをみたところで、ポカリの大きいペットボトルって900mlなんだ~って瞬時に分かるわけじゃないんですよね。だから大事なのは、「後で分かる」ことなんじゃないかって、わたしはレポートに書いてました。実際にお店で見たり、購入するときに、CMの端々にぴんときたりすること。
広告って結局のところ、それを目にしている瞬間だけじゃなくて、生活の中の別の場所でアンテナに引っかかって、さらに興味がわいたり、好きになったりするというか、そういうのが上手なCMは、良いCMなのかもしれません。

ファイルの更新日時は深夜で、わたしって、ちゃんと、なんだかふつうの、大学生だったんだなって、思いました。

とにもかくにもポカリスエットのCMは30年くらいずっと様々な人と、音楽と、デザインでつくられているんですけれど、センス良いな~って思うものが多いので、さいごにいくつかすきなやつをのせておきますね。


糸井重里 森高千里17才 ポカリスエット 二日酔い編
(80年代のものです。キレキレのセンスです)


ポカリスエットCM
(曲はTRICERATOPSです。)


ポカリスエットCM|「踊る始業式」篇 60秒
(今流れているものです。青い粉がチョークを思い出す、青春一直線!踊りたくなります。)


ポカリスエットCM|「カモメと夏がきたならボサノバ」篇 15秒
(これも現在放送しています。かわいいです……。夏が待ち遠しいです。)

ポカリは、ぺこぺこしたやわらかいペットボトルもなんだか好きだし、青色のフィルムも好きだし……おいしいですよね。まぶしい夏はもうすぐ。CMもたくさん流れるかな。

 

証明写真と枠とわたし

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先日、証明写真を撮りました。近所の薬局の前にある、スピード写真です。プリクラみたいに出てきた写真を見たら、なんだか変な顔してました。もやもやしながら、コートの襟元を寄せ合わせて、家までの道のりを早歩きで帰りました。ここに写っているのは、わたしの皮膚の表面のところだけで、きっとわたしは死ぬまで、自分の内側の100パーセントを誰かに伝えることはできないのかもしれないな、と思いました。

これは、小さい頃から感じている感覚で、自分の中には言葉にできない流動体みたいなものがあって、ひとりで過ごしているときは常にそれと対峙しています。だから、人と会うときや話すときと、ひとりでぼうっとしているとき、あるいは本や映画や音楽や絵画などに向き合っているときはそれぞれ別の世界にいるように感じます。これは誰でも感じることなのか分かりませんが、わたしが出来るだけ誰かに伝えたいのは、流動体の部分なのですけど、でも、それがうまくできないのです、生まれてからずっと。

 

わたしは今仕事をしながら、4月から働くであろう別の仕事を探しています。大学の新卒の時の就職活動でも、証明写真を撮るとき、もやもやしていたなーと思い出します。とにもかくにも、面接が苦手だったわたしは、自分の想いなのに、それをうまく伝えられないことで自らを責め続け、抜け殻のようになりながら、ぼろぼろに傷つきながら、卒業旅行にも行けないまま、卒業間際に今の職場に契約社員として就職しました。人に恵まれ、充実した年月をすごしましたが、もっとこうなっていきたいな、という理想ばかりが膨らむ毎日だったように思います。

ほんとうに理想のところへ行くには、いつか自分の中身を全部出せるようにならないと、だめなのかなあ。わかりません。

 

小さい頃から内向的で、ひとりっ子なのもあったのか、家でひとりで過ごすことが好きでした。本ばかり読んで(毎日1冊読んでました。)、妄想に耽っていた気がします。(暗いです・・・。)小学校くらいから、クラスのみんなが楽しんでいることを楽しめなかったり、ひとりだけ異常になにかに没頭してしまうことがあって、なんだかおかしい、窮屈だし、と実感しはじめるようになりました。

小学校4年生の時に突然学校に行けなくなったこともありました。何がくるしいのか、理由が自分でも分かりません。優しい友達がたくさん周りにはいてくれて、心配をしていつも様子を見に来てくれていました。本当に恵まれていたと思います。でも、わけもわからずからだが動かない、涙ばかりが出てくる。考えてもどうしようもないことが、頭の中で旋回していました。例えば、宇宙の果てのこととか、なぜ自分がここに存在するのかとか、自分の命が今、一秒ずつ消費されていっているんだ、とか。それがこわくてこわくて、しょうがなかったのです。どうしてみんな、平気な顔してすごしているの?と思って、わたしはみんなとは違うんだ、とショックでした。

成長するにつれて、「自分のありのままを出しても、だれも受け止めてくれない」と気づいて、自分の本心を隠す癖がついてしまったようにおもいます。高校生ぐらいまでは、そんな想いをかかえ、息も絶え絶え、生きていた気がします。

大学生になってから、すごく生活がおもしろくなってきました。好きなことを勉強できるし、クラスの枠組みがなくていろんな出会いがあって、個性の際立つ人たちがたくさんいて楽しかったし、好きなときに孤独になれるのもよかった。

卒業して社会人になってからも、充実した日々でした。正社員になれなかったことで、現状に満足せず色々なことを考えられた時間でもありました。幸せは人それぞれで、わたしはわたしで、他の人もそれぞれみんなすばらしくて、そういう考え方を丁寧に重ねていけたと思います。

 

遠回りになっても、寄り道をしても、しつこくしつこくわたしらしく働ける場所を探したいです。子どもの頃からおしゃべりは上手じゃなかったけど、そのかわり文章や絵を描いたり、工作したり、何かを熟考したりするのは好きだったから、そういったことで、誰かの役に立ちたいです。みんなと違うことがコンプレックスで自分を抑えて生きてきた10代のこと。ちょっとずつ、そういう自分もさらけ出して、自らの核の部分を放出できればうれしいです。

わたしはこんなに不器用で不安定だけど、いつもまわりには家族や友人やかつての恋人がいてくれました。わたしのこころだけが、いつも揺れていた。しっかりと恩返しがしていけたら。証明写真の枠をとびだしていけたら。

 

 

パーティーで流す音楽を―映画「さざなみ」

「パーティーはあまり好きではないの」結婚をしてから、45年の記念日をパーティーで祝う予定の夫婦。シャーロット・ランプリング演じる主人公がドレスを選びながらつぶやいています。(彼女の演技がすばらしかった。ほんとうに。)

屋根裏部屋で、夫の昔の恋人のフィルムをみつけてしまう。彼女はもう死んでいて、だけどもし彼女が生きていれば、結婚していただろうと漏らす夫。「パーティーのBGMに何を流しますか。」という電話がパーティー会場からかかってくる。心を波立たせている主人公がとっさに選んでいる曲がどれもかっこよくて、いてもたってもいられなくなったので、ここにまとめておきます。

 


Happy Together - Turtles

 


For What It's Worth - Buffalo Springfield

 


Marvin Gaye - Your Precious Love

 


Jackie Wilson - Higher & Higher Official Video
(PVがガンガンにかっこいいです…。)

 


Platters - Smoke Gets In Your Eyes
(こちらは「プラターズの『煙が目にしみる』もお願い」みたいな感じで、これだけ訳したタイトルで字幕がつけられていたのもいいですね…単純に訳の方が有名だからかもしれませんけれど、日本語ってうつくしいですね。)

 

どれも大人の夫婦のパーティーで、踊りながら聞きたい曲ですけれど、主人公の焦りとくるしみの心の内をめぐって出てきた曲と捉えたら、涙が出てきそうです。若き日のふたりの思い出の曲なのかもしれません。あえて全く興味のない曲だったのかもしれません。分からないですけれど、いろいろ想像をふくらませて、映画の余韻にひたるのは特別な時間です。

 

さざなみ [DVD]

さざなみ [DVD]

 

 映画「さざなみ」。邦題もぐっときます。このDVDのパッケージも。夫の顔が見切れています。夫は過去をみつめているのかもしれません。男と女は別の生き物だから、きっとわかり合えることは一生ないのでしょう。ラストシーンは強烈でした。わたしは主人公の気持ちが分かったので、やっぱり自分って女なんだな、と思ってはっとしました。すごく不思議な気持ちです。しばらく、この音楽たちが耳から離れなさそうです。

映画「ぼくとアールと彼女のさよなら」

あらすじ

スクールカーストのどの位置にも属さないように過ごす「ぼく」は、敵もつくらなければ仲間もつくらない自己評価の低い高校生。唯一「仕事仲間」と呼ぶ黒人の「アール」とだけ、過去の名作と言われる映画の数々をパロディにして作品をつくっていました。そんな主人公のもとに「彼女」、白血病のレイチェルとすごす日々がやってきます。その関わりの中で「ぼく」に変化が訪れるのでした。

大切な人の死をみつめる青春ムービー

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日々をやり過ごす主人公と、病気と闘う女の子、そこで生まれる恋愛感情……。をはじめは想像して、観るかどうか迷っていたのですが。このワンシーンの写真がなんとなく好きだったので観てみました。ぼくと、アールと、彼女が階段に座って、アイスキャンデーを食べるシーン。大好きなシーンになりました。このアイス、赤と白と青の三色になっていて、うっとり。ファッション、部屋のインテリア、パロディ映画のパッケージなど、ビジュアル面はとってもキュートです。

ストーリーはテンポ良く進み、彼女の病気もさらっとえがかれ、それがとてもよかったです。ぼくと彼女が恋愛関係にならなかったのも。これは重要なところです。ふたりはうっかり、キスでもしてしまうの?と思っていたけれど、ふたりは「友達」であるわけで、ほっとしました。

大切な人の死を見つめる青春ムービー、に違いはないのですが、その見せ方が軽いタッチで、それがやけに胸をあつくさせるのでした。

 

くるしいし、かなしいけど

主人公は人となれ合わないことで、日々に波風をたてないようにすごしていました。でも、彼女と出会ったことで、他人に感情をぶつけたり、アールと喧嘩したり、心をかきみだされたりします。だれかと深く関わると、ときにかなしくくるしいけど、それと同じだけの幸福もやってくるものです。

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(アールの眠たげなまなざしと、いつもかぶっている帽子がとてもオシャレ)

主人公と彼女の関係性に、アールがスパイスを加えます。干渉しすぎない、でも、なんだかんだ信頼し合っている。かっこいいです。

 

 

 日本では劇場公開されなかったようですが、たくさんのひとに観てもらいたいなと感じる作品でした。

中華料理屋にて

年が明けました。今年もよろしくお願いします。


最近、夏から会っていなかった友人と会いました。遅くなったけど、と誕生日プレゼントに口紅をくれたのですが、「いつもどんな色のやつを塗っているか分からなかったんだけど、元々のくちびるの色が濃いイメージだったから」と彼女はいいます。「なんで分かるの、すごい」と言ったら、笑ってました。とてもうれしかった。

 

彼女は三人姉妹の末っ子で、とても素直でとても素敵な言葉をくれる友人です。以前、彼女が当時の恋人と別れざるをえなかったとき、わたしはその話をじっと聞いていました。そこは中華料理屋さんでした。彼女のその恋人に対する愛情も誠実さも全部知っていたので、わたしもくるしかったし、それでも何もしてあげられることはないし、「それだけの力を尽くしたのだから、きっとどこかへまたきちんと導かれるのだと思う」というようなことを、つっかえながら言うことしかできませんでいた。

だけど彼女はわたしが話し出すとみるみる目に涙を浮かべて、「ほかの誰に話してもこんなことなかったのに、不思議とかなしくなる。泣けてくる。」と言って、泣き始めました。

もっと、気のきいたことや、根拠のあるようなことを言ってあげられたらな、と思ったのですが、彼女が泣いているのを見ていると、「これからもずっと友だちでいてね」と言う気持ちばかりがあふれてきて、中華料理屋さんのペーパータオルをずっと彼女に差し出すことしかできませんでした。

かなしいときに、それを全部あらわにしてくれて、うれしかったです。

彼女もあの日、小籠包を全部平らげていたから、よかったなと思います。

 

彼女のくれた口紅はとても綺麗な色です。