くらすひ

おにぎりと、本と、映画と、雑記。

髪を切っておうどんを食べた話

髪を切りました。大学を卒業してから髪を伸ばし始めて、いつのまにか胸の下まで伸びた髪を、鎖骨くらいまで切ったり、またのばしたりして、もうすぐ4年が経ちそうでした。今日は思い切って、顎のラインくらいまで、髪を切りました。

頬にそって、髪がぴた、と触れたり、襟足がこそこそとしたりして、いいきもち。

わたしは美容師さんとたくさんお話しするのが苦手なので、お正月に風邪をひいたこと、平日の通勤時の服装はとんでもなくテキトーだということだけ話して、「そうですねえ」と言ったりとか、ニコニコしたりとかして、あとは持参した本を読んでいました。原田マハの「楽園のカンヴァス」を読んだので、美術館に行きたいきもちで、ドライヤーの熱風を浴びました。

 

髪を切り終えると、すっかりおなかがすいていたので、地元の駅まで帰って、線路沿いをちょこっと歩いて、おうどんやさんにいきました。店先には、それぞれ淡い青と、赤と、緑色をした暖簾がかかっていて、「うどん」とかいてあります。小さい戸口、内観もなんだかカフェのようです。店主さんはキャップをかぶっている。ヒゲも生えている。なんだか「シティポップのミュージシャン」みたいなかんじ。アルバイトの女の子がふたり。ヒートテックみたいなのに、Tシャツを着てて、「ロックフェスにいる女の子」みたいなかんじで、かわいかった。

カウンター席がせまいので、コートを脱ぐときに隣の男の人に腕がちょっと当たってしまって謝ったら、「いえいえ」と言ってくれた声色がやさしくて、うれしかったです。「ちく天温玉うどん」を頼んで、カウンターの中、たっぷりのお湯からのぼる湯気、そこにドボンと沈むおうどん、壁にかけられたおたまの整列、新たに麺棒でのばされ、粉を振りかけられる生地などを観察しました。

女の子が運んできてくれた器には、おっきなちくわの天ぷら、おつゆをたくさんしみこませて、たべました。おいしかった。

 

髪を切って、おうどんを食べた土曜日。自転車に乗ったら、髪が短くなったので冷たい風がたくさん首元を通り過ぎたけど、わたしはとてもはつらつとしたきもちで、ペダルをこぐのでした。

2017年、日々のこと

2018年、あけましておめでとうございます!年を越しながら、去年一年分の日記帳を読み返してみました。だれかと会ったこと、旅のこと、仕事のこと、そういう手帳に書き込むような予定は、よく思い出されるのですが。例えば、だらっとするだけのお休みの日のこと、芸能人がテレビで言ったセリフ、マカロニをつまみ食いしたこと、そういうようなことはすっかり忘れていて、書き留めていられたことが、うれしかったです。そういうささやかなことだけ抜粋して、一年を、2017年を、振り返ってみたいと思います。長いので、目についたところだけでも、よんでもらえたら嬉しいです。

 

2017年1月1日
「年が明けました。大学時代の先輩後輩と、CDJで年越し。イエモン!夜中三時の、スペアザ。酔っ払って、睡眠不足で、へろへろになる。終演後、まだ暗い中、東京駅の八重洲口でバスを待つ。バスの中から日が昇るのを見た。東京の街が黄金にひかって反射していた。うつくしかった。」

2017年1月〇✕日
「後輩の恋の話をきく。ツタヤのバイト先のふたつ年上の先輩と、CDの貸し借りをした。人混みで助けてくれた。ラインが返ってこない。先輩には、彼女がいるんです。それでもって、ちょっと、その彼女に冷めてきているんだと言う話を、わたしにしてくるんですよ。と、長い間隔で瞬きをしていた。後輩が頼んだコーヒーには板チョコがついていて、それをカップに割り入れてのむらしかった。甘い、いいにおいがした。」

2017年2月〇日
「お酒を飲んだ。テーブルの向かいでほろ酔いになって、陽気になって、良くしゃべる人を見ているとうれしくなる。サワーに、自分で檸檬をしぼっていれた。銀色の檸檬をしぼるやつで、ぎゅーってする。帰り道、身体をちぢこめて歩いたり、帰ってからカップラーメンを食べたりする。平和だ。」

2017年2月✕〇日
「夢を見る。どこかのテーマパークで、ひとり、乗り物へ続く列の外側で途方に暮れている。そこらへんのスタッフさんに声をかけたら、それは松田龍平だった。何かをインカムで話してわたしを助けようとしてくれた。かっこよかった。」

2017年3月〇日
「いろんなことを決断するというのはパワーがいる。朝起きると、こころが重くて困った。カルテットを一気見した。すずめちゃんに恋をしている。」

2017年3月✕△日
「職場で送迎会を開いていただく。帰りの電車、わたしが駅に降りたあと、皆さんが電車の中からずっとずっと手を振ってくれる。冷たい空気の中だけれど、お酒と緊張とさみしさで肌は熱かった。」

2017年3月△〇日
「ホテルに宿泊する。トイレのドアが開かなくなって、フロントに電話すると、とても丁寧な男の人の声がここちよかった。缶チューハイを飲みながら、チータラを食べながら、映画を観た。内容を全然覚えていない。加瀬亮くんがでていた。ホテルのモーニングのポテサラとオニオンスープがおいしかった。」

2017年4月〇日
「お友達とイノダコーヒでモーニング。集合場所と違う支店に間違えて行ってしまったので、おろおろしていると、電話がかかってきた。電話口、友達の「おっはよー!」という声にほっとする。」

2017年4月✕日
「自転車に乗った。定期券を買いに行った。ベンチに座って、カフェオレを飲んだ。春がやってきている!」

2017年4月△日
「星占いをこころに留めておきたいのでメモ。『自分の力でのみ何とかしようとする力の強い天秤座が、改めて周りの人の素晴らしさに気づくとき。愛することに焦点を当ててみましょう。』」

2017年4月△✕日
「ドラマ『火花』がいいかんじ。シュウマイを頬張りながら階段を降りるシーンが好きだ。」

2017年4月✕✕日
「おうちでカルボナーラをつくる。賞味期限の切れたウインナーを焼いた。ずいぶんあたたかくなって、暖房いらず。手を水で洗ってもつめたくなかったのだ。」

2017年4月〇✕日
日曜美術館で、『ティツィアーノ・ヴェチェッリオ』。肌の透明感、髪のふわふわなところ。チョット俗っぽいところが生々しさを生むようだ。感情や動作がハッキリしないニュートラルさ。井浦新さんが、「完全にエロスですね」とコメントしていたのが色っぽくて良かった。」

2017年4月△△日
「必死で仕事をおわらせる。あたまがぐるぐるして、ぼーっとしている。わたしは、平凡で下らなくて、でも悲しくて愛しくて涙が出るものをつくりたいと思っている。」

2017年5月〇日
「おなかがすいたら、ごはんをたべて、ふたたび本を読み、衣替えをする」

2017年5月✕日
「友達が青い花柄のティーカップにレモンを浮かべた。ゆっくりお互いの心の内をはなす。「悩めるお年頃だよね」と彼女が言った。」

2017年5月△〇日
北野武ピカソ。映画で、なぜ暴力を描くのか。100パーセントの愛のためだ。」

2017年6月〇日
「仕事で使うもちものにカエルのシールを貼っておいた。上司が「あー。何かと思ったら、カエルさんでしたか」と言った。「池田なので、田んぼから連想してカエルにしました」と言うと「あはは、面白いですね」とわらっていた。」

2017年6月✕△日
「だらだらとしたねむり。『リップヴァンウィンクルの花嫁』を観た。ふるえちゃう。Coccoがおそろしく素敵。綾野剛くんはこういう冷たいまなざしの役が好きだ。NHKの『映像の世紀―世界を振るわせた芸術家たち』をみる。すさまじくて、世界史の図説出してきて復習する。特攻隊の映像に打ちひしがれる。今、若い男の人のからだが敵艦に突っ込んでばらばらになるのである。わたしのからだや意識とは…人のためにも、自分のためにもならない時間を過ごすとき、絶望だー。」

2017年7月△日
「仕事終わり、友達と行った定食屋も、串揚げやも満席。だけど夜の路はたのしかった。京都タワーが青かった。「かき氷みたい、ブルーハワイ」とわたしは言った。和食屋さんの鶏天がふわふわでおいしかった。うずらベーコンを頼んだら、うずらチーズが来た。友達の一夜の恋のエピソードを聞く。ドキドキした。女盛りだものね。」

2017年7月✕△日
「外に出るととんでもない熱の塊。夏だ。」

2017年7月✕〇日
奄美大島に行ってみたいな」

2017年7月〇✕日
「本屋さんでぶらぶらしていたらにわか雨が降った。〇〇くんの結婚をきく。おめでとう!いいこと、いいことだ。」

2017年7月✕✕日
「メロンパンを温めて食べる。夜、YouTube銀杏BOYZみはじめちゃって、楽しくなっちゃって、もうこんな、25歳なのにいつまでも、くそみたいなロック(褒めてます)を聴いて、ワーってなってるなんて、いつまでもこころのどこかは中学生のままなのだな。」

2017年8月〇日
「夜。オジイチャンのお見舞いに行った。おじいちゃんは目を丸くして、あまりしゃべらなかった。わたしもやっぱり、何も言えなかったな。何が正しいことなのかは、わからない。顔を見るだけでも、分かるような気もする。すべて、うまくいくように。別れ際、背を向けたおばあちゃんを呼び止めて、「おばーちゃん、ばいばい」とだけ言った。おばあちゃんは「ありがとうね」と言ってくれた。眠気がどっと押し寄せた。車からみたネオンばかり思い出します。」

2017年8月✕〇日
「ライブハウスに久々に行く。大阪までの車窓は少しずつ暮れて、きれいだった。遠くに夕立の雨雲や、それが通り過ぎた後の光のすじをみた。ジントニックを頼んで、ロン毛アシンメトリーのお兄さんがやさしく「どうぞ~」と言ってくれた。帰り道は、久しぶりに無敵な気分になって、余裕綽々、どこまでも走れそうだった。夏の夜、小走りで駅へと向かった。」

2017年8月△✕日
「薬局へ行く。蝉が道にぽとんとおちていた。おじさんが店員さんに、「バルサンみたいなんは~、あるんか?」ときいていた。おやつに買ってきたドーナツを食べる。」

2017年8月△△日
「100分で名著『中原中也』、森山未來が朗読していてめちゃくちゃかっこよかった。ダダイズム。前後の脈絡を崩す、言葉を解体する。叙情が、それらを上回る。」

2017年8月〇〇
「祝日だけど仕事。誘われていたバーベキューの様子を、友達が写真を送ってくれる。うきわをもった〇✕くん。仕事を終えて、ひとり本屋に寄って帰った。ひっそりした奥の棚までいったりきたりする。なんとなく安定していた。」

2017年8月△〇日
「何も予定のないお休みの日は、とてもたのしく、ずっとせつない。夕刻の近所の景色を見た。なんだかすごい。時々ふしぎになる。こんなにたくさんの家々、大きい看板、学校。たくさんの人の営みがあるんだなあと思う。ペットショップの中にある段ボール箱の中からポメラニアンがこっちを見ていた。」

2017年8月✕△日
「図書館へ自転車で行く。坂を上るのでとめどなく汗が出る。本を探して、棚を眺めて、読んで、探して、戻し入れて、また読んだ。帰り道は、坂をぎゅーんとくだった。高校生になった気分だった。」

2017年9月〇日
マクドナルドで、ウェーイ感漂う大学生4人組が騒いでいる。女の子の話をしているようだった。「ショートカットの子が…」「スポーツ女子みたいな…」「俺はかわいいとおもうけどな、ふつうに」ふむふむと思いながら聞く。」

2017年10月△日
「雨降り。お姉さんから、国宝展のお誘い。良い日です。雨の日の電車の独特の空気。夜は大阪へ行く。友達と一緒に、なみなみと注いでもらったワインを飲む。もう何年も前の、ないがしろにしたかもしれなかった恋の始まりのことを思い出す。」

2017年11月✕日
「お友達の個展へ。商店街と喫茶店。ローテーブルのくすんだ調味料の入れ物。むき途中のゆで卵がいっぱい入ったボウル。一緒にいるだけで、豊かな時間をくれるおともだちへ、いつもありがとう。」

2017年11月〇△日
「なす、かぼちゃ、キノコが入ったカレー」

2017年12月△日
「勉強したいことメモ。「ハンナアーレント全体主義の起源」「エルサレムアイヒマン」「ミルグラム実験」どのような考えを持てば、全体主義に陥らないか?という考え自体が傾倒している。いかに「考えていないか」を自覚するしかない。」

2017年12月〇日
「先輩に桃のアイスバーを奢ってもらう。大はしゃぎしたので、笑われた。パフュームの話で盛り上がる。先輩が駅のホームで、チョコレートディスコを踊りだしたので焦る。」

 2017年12月✕✕日
遊郭の本のみを扱う吉原の本屋さん『カストリ』が気になる。歴史と文化にこころときめく日々です。」

2017年12月〇✕日
「雪が降るかも…な朝。(雪マークのイラスト)」

2017年12月✕△日
「鈴木晴信をあらためてみつめる。文学的な装いがある絵。」

2017年12月△△日
「ファミレスの店員さんの佇まいがドストライクだったので、心の中でキャーとなる。おなかがとてもすいていたので、そしてごはんおかわり無料だったので注文ボタンを押したら、その店員さんがさわやかに走ってきたので恥ずかしかった。レジでも店員さんが対応してくれたのだけど、お釣りの渡し方が、差し出した手を上下から両手で包むタイプだったので、またキャーとなる。」

 

一年間、わたしの日々はくだらないことで満たされていました。幸せなことです。基本的に家にひきこもることの多いわたしですが、たくさんの出会いと、特別なことがたくさん起こった年でもありました。(それらはあえて、かきませんでしたが。)夢みたいな日も、ありました。それはすべて、一緒に過ごしてくれた人たちのおかげです。ありがとう。 みなさんの一年はどうでしたでしょうか。2018年はどうなるのかな。出来たら今年も、いちいちすべてにトキメキながら、すごせたらいいですね。ことしも、どうぞよろしくおねがいします。

東京の夜

すこしばかり旅行へ行きました。大学時代の友人5人とディズニーランドへ行き、その日泊まったホテルの部屋の、お風呂はとても大きくて興奮して、ぷかぷか湯船に身体を浮かべます。楽しみ尽くした一日の夜はへとへとで、ホテルのからっとしたシーツが心地よい。次の日からは東京観光でしたが、仕事のため宿泊しないメンバーもいたので、最終的にはひとり旅に。それもまた良かったです。

みんなと別れてひとりになったとき。東京駅で友人を見送る経験が出来たこと。早速電車の路線がよく分からなくなったり、駅からの方向が分からず迷子になったりして、「ワタシ、東京にいるのダ」と思ったりしたこと。とてもたのしかった。ひとりになってからは、ホステルに宿泊。大部屋でシャワーなどは共用ですが、宿泊費が安いし、押し入れみたいなせまいところで寝られるので、わたしはそれが好きなのです。二段ベッドの、上の段だったし。ルンルンです。下の段のベッドは、韓国人の女の子でした。かわいかったな。

東京では、美術館に行ったりおいしいものを食べたりして、友人との時間もとても楽しかったですが、ひとりで夜の東京を歩いたときは、街のパワーやうつくしさに圧倒されて、こういうのは、ひとり旅でしか感じられないかもしれません。黙って、五感を研ぎすますことが出来るので。

浅草をぶらぶらしたのですが、日本初のバーとして1880年に誕生した神谷バーをのぞきました。

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東京の街は歴史が感じられてすてきですね。明治から、昭和の戦後くらいまでの時代の様相がとてもすきなので、たまりません。バーは混んでいて、たくさんの人の社交場になっていました。わたしはもうちょっと、ひとりでゆっくりとしたかったので、近くの純喫茶へ行くことにしました。(いつかリベンジしたいです。)

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隅田川沿いで、スカイツリーを眺めたりもしました。月が出ていて、うつくしかった。人間のつくった無機質な物体と、自然のごうごうとしたちからが、圧倒的です。

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夜の雷門ははじめてみました。

東京の夜は脈をうつような力があって、きらめいてうつくしく、同時にとてももの悲しい。希望と、ちょっぴり不穏な空気が混じり合って、どきどきしました。街に魅了された夜、良い旅でした。

湖岸にて

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夕方。いつのまにかこんなに涼しくなってしまいました。自転車で家まで帰る道すがら、湖の岸辺にベンチがならんでいるので、そこに自転車をとめて、日が暮れるまでぼんやりしました。西日があつくてたまらなく、ぼんやりなどできなかったちょっと前の日々、今年も夏は終わっていくのですね。
 
湖は海とはまた違う良さがあって、大きく波が寄せては返すということをしないので、穏やかだし、ずっとそこで、なにかがたゆたうのですね。水面のところで、細かな水の揺らぎがずっと、さらさらさら~としてるんです。光がそこに反射して、短い白い線が生まれて消えて、それをずっと繰り返しています。対岸には山も見えます。山の稜線を端っこから順に目でなぞっていく。じー、とそれを見てると、自然にはかなわないよナ。と思います。

湖岸でボー、としてると、いろんな人が通り過ぎていきます。散歩中のおじいちゃんがよく通ります、釣りをしているおじさんも多くいる、ランニングをする若い人、親子連れ。今日は、自転車でお父さんと小学生低学年くらいの男の子が通り過ぎました。シャーと勢いがよかったので、その男の子の背中に縦書きでカタカナの文字がかいていたんだけど、読み取れなかったんです。なんだったんだろう、一番最初の文字は「ス」だった気がするなァ、気になる、おもしろい、と思ってまた違うことを考え出した頃、その親子が同じ道を戻ってきたのです(!)目をこらして男の子の背中を見てみたら、「チョコボー」ってかいてました。チョコボー?「チョコボーの、謎」と思って、また水の上のきらめきを眺めました。全然最初の文字「ス」じゃなかった。楽しくなってきます。
家に帰って「チョコボー」を調べました。

これです。
妖怪ウォッチのチョコのお菓子みたいですね。こういう縦書きで、チャイナなデザインっぽくて、かわいかったです。

ただぼんやり座ってるだけでも、たのしいことがたくさん起こります。

いつのまにか日が暮れてきて、遠くにかかる橋の電灯に光がともりました。角度によって緑っぽかったり黄色っぽかったりする光です。その光を見つめながら、「悲しくてやりきれない」を口ずさみました。(最近聴いてばかりいるので。)

前回かいた記事:かなしくてかなしくて - くらすひ

いろんな方がカバーされていますが、ザ・フォーク・クルセダーズの原曲は、すてきですね。昭和の音楽は、悲しいので好きです。最近は、過去の時代への興味が尽きません。


「悲しくてやりきれない 」ザ・フォーク・クルセダーズ(The Folk Crusaders)

暗くなってしまったので、自転車を走らせて、家へ帰りました。目の奥に残った光がきらきらします。水の力はすごいのです。家に帰り、カレーライスを食べました。とても良い日です。

かなしくてかなしくて

7月の終わり頃のこと。京都の「立誠シネマ」が7月末で閉館、そののち移転するということで、見納めをするべく、行ってきました。「何を観よう」と悩んだものの、「この世界の片隅に」にしました。ずっと観れていなかったんです。


映画『この世界の片隅に』予告編

2016年に公開され、観られた方も多いのでは、と思います。立誠シネマのちいさな上映室で、ぎゅうぎゅうたくさんの人と肩を寄せて、じいっと見入った2時間。わたしのこころは、あの時代にとんでいきました。

8月。毎年、お盆の時期が近づくと、やっぱり、戦争のことを考えます。「終戦の日を、今の若い人は知らない」というようなインタビューがテレビでやってたりしますが、「そうでもないよ」とも思います。わたしはいくらでも知りたい、ほんとうに大変だった時代のことを、そこにたしかに生きていた人たちのこと。想像するだけで、ざわざわと皮膚の内側がふるえます。そういう若い人たちは、たぶん、たくさんいます。

広島市から、呉市にお嫁に来たすずさん。軍港の街、スケッチブック、着物を仕立て直したもんぺ、摘んできたスミレの花のお味噌汁、降り注ぐ爆弾。そういう日々が、ほんとうにあったこと。戦争の中で、すずさんは恋をしたし、家族を愛したし、料理をして、洗濯をして、歌をうたい、絵を描きます。そうして、愛する人を失ったり、うちひしがれたり、します。そういう人たちが、ほんとうに、たくさんいたのですよね。

映画を観終わって、シネマの外に出ると、蒸し暑い日本の夏がありました。8月です。わたしのポケットにはスマートフォンがあるし、そこかしこに食べ物があふれているし、京都の大通り、お店と車と行き交う人たち。駅までの道を早足で歩きながら、わたしはなんだか、涙がでてしまいました。

戦争が降ってきた時代を生き抜いた人たちのおかげで、わたしは生まれてきました。敬意を込めて。

 


コトリンゴ 「悲しくてやりきれない」

(音楽はコトリンゴ。かなしくて、やさしくて、うなだれてしまいます。)

さいごに。お嫁に来たすずさんと、その旦那さん周作さんのやり取りが、かわいくてうつくしくてやさしくて、いつまでもいつまでもこの二人を見ていたかったです。あんなにドキドキして泣きたくなるキスシーンはめったにないです。(キャ~)
そういえば、映画評論家の町山さんが「この映画の恋愛面はエロチックなんですよね~、エロチシズムが絶妙なんですよね~」と言っていたのですが、まさに、「わかります!」と挙手したくなります。
愛する人とくらすこと、やさしい口調で話すこと、肌が触れあうこと、守り合うこと、すてきです。周作さんみたいな男の人、そりゃあー、好きになりますよネ。

時代はいつまでも進んでいくし、わたしの明日も続いていきます。ふしぎなきもちです。どうしよう。この映画のことを、だれかと、はなしたいな。

 

 

砂漠とビルとポカリスエット

大学生の頃、芸術と広告をかじる勉強をしていて、テレビCMに関するレポートをかく課題が出ました。PCのフォルダを整理していたら、そのレポートのデータが出てきたのですが、わたし、このコマーシャルにたまらなく心惹かれていたなって、思い出しました。

ポカリスエットのCMなのですが、2010年くらいに放送されていたものだったと思います。わたしはまだ10代だった。北野武の語りと、カラカラに乾いたどこかの国の街と、鉄やコンクリートと、砂漠と、青いパッケージのペットボトルと……。かっこいいなって思いました。

それから、音楽がとてもよくて。toeの曲なのですが、音源化されていなかった(?)ので、動画サイトを無限ループしたりしてずっと聴いていました。夏の日に乗り物などに乗って聴いていると、特別な場所にいるような感じがしました。

toe」は日本のポストロックバンドです。学生時代、滅茶苦茶きいてました。

For Long Tomorrow

For Long Tomorrow

 


このCMはほかのバージョンもあって、どれもスタイリッシュで、壮大で、うつくしく、なんだか強いです。


ポカリスエットCM | たけしと少女 篇

こちらの音楽は「ネルマレ ~After long tomorrow~」(toe feat. Maia Hirasawa)。


その時かいたレポートを自分で読み返してみたのですけど、(とても恥ずかしい。)タイトルに「15秒で終わらない広告」とか、つけてました (とても恥ずかしい。)まずこのCM30秒ですし。
このタイトルの意味がどういうことかというと、たとえば、砂漠のシーンで表示される900という文字と、人間が一日で失う水分が900mlだという説明が語られるシーン。これは、900mlの大きさのペットボトルの商品とリンクさせているようなんですね。(お茶とかだと1L、コーヒーやジュースは900mlが多いです。)でもこのCMをみたところで、ポカリの大きいペットボトルって900mlなんだ~って瞬時に分かるわけじゃないんですよね。だから大事なのは、「後で分かる」ことなんじゃないかって、わたしはレポートに書いてました。実際にお店で見たり、購入するときに、CMの端々にぴんときたりすること。
広告って結局のところ、それを目にしている瞬間だけじゃなくて、生活の中の別の場所でアンテナに引っかかって、さらに興味がわいたり、好きになったりするというか、そういうのが上手なCMは、良いCMなのかもしれません。

ファイルの更新日時は深夜で、わたしって、ちゃんと、なんだかふつうの、大学生だったんだなって、思いました。

とにもかくにもポカリスエットのCMは30年くらいずっと様々な人と、音楽と、デザインでつくられているんですけれど、センス良いな~って思うものが多いので、さいごにいくつかすきなやつをのせておきますね。


糸井重里 森高千里17才 ポカリスエット 二日酔い編
(80年代のものです。キレキレのセンスです)


ポカリスエットCM
(曲はTRICERATOPSです。)


ポカリスエットCM|「踊る始業式」篇 60秒
(今流れているものです。青い粉がチョークを思い出す、青春一直線!踊りたくなります。)


ポカリスエットCM|「カモメと夏がきたならボサノバ」篇 15秒
(これも現在放送しています。かわいいです……。夏が待ち遠しいです。)

ポカリは、ぺこぺこしたやわらかいペットボトルもなんだか好きだし、青色のフィルムも好きだし……おいしいですよね。まぶしい夏はもうすぐ。CMもたくさん流れるかな。

 

証明写真と枠とわたし

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先日、証明写真を撮りました。近所の薬局の前にある、スピード写真です。プリクラみたいに出てきた写真を見たら、なんだか変な顔してました。もやもやしながら、コートの襟元を寄せ合わせて、家までの道のりを早歩きで帰りました。ここに写っているのは、わたしの皮膚の表面のところだけで、きっとわたしは死ぬまで、自分の内側の100パーセントを誰かに伝えることはできないのかもしれないな、と思いました。

これは、小さい頃から感じている感覚で、自分の中には言葉にできない流動体みたいなものがあって、ひとりで過ごしているときは常にそれと対峙しています。だから、人と会うときや話すときと、ひとりでぼうっとしているとき、あるいは本や映画や音楽や絵画などに向き合っているときはそれぞれ別の世界にいるように感じます。これは誰でも感じることなのか分かりませんが、わたしが出来るだけ誰かに伝えたいのは、流動体の部分なのですけど、でも、それがうまくできないのです、生まれてからずっと。

 

わたしは今仕事をしながら、4月から働くであろう別の仕事を探しています。大学の新卒の時の就職活動でも、証明写真を撮るとき、もやもやしていたなーと思い出します。とにもかくにも、面接が苦手だったわたしは、自分の想いなのに、それをうまく伝えられないことで自らを責め続け、抜け殻のようになりながら、ぼろぼろに傷つきながら、卒業旅行にも行けないまま、卒業間際に今の職場に契約社員として就職しました。人に恵まれ、充実した年月をすごしましたが、もっとこうなっていきたいな、という理想ばかりが膨らむ毎日だったように思います。

ほんとうに理想のところへ行くには、いつか自分の中身を全部出せるようにならないと、だめなのかなあ。わかりません。

 

小さい頃から内向的で、ひとりっ子なのもあったのか、家でひとりで過ごすことが好きでした。本ばかり読んで(毎日1冊読んでました。)、妄想に耽っていた気がします。(暗いです・・・。)小学校くらいから、クラスのみんなが楽しんでいることを楽しめなかったり、ひとりだけ異常になにかに没頭してしまうことがあって、なんだかおかしい、窮屈だし、と実感しはじめるようになりました。

小学校4年生の時に突然学校に行けなくなったこともありました。何がくるしいのか、理由が自分でも分かりません。優しい友達がたくさん周りにはいてくれて、心配をしていつも様子を見に来てくれていました。本当に恵まれていたと思います。でも、わけもわからずからだが動かない、涙ばかりが出てくる。考えてもどうしようもないことが、頭の中で旋回していました。例えば、宇宙の果てのこととか、なぜ自分がここに存在するのかとか、自分の命が今、一秒ずつ消費されていっているんだ、とか。それがこわくてこわくて、しょうがなかったのです。どうしてみんな、平気な顔してすごしているの?と思って、わたしはみんなとは違うんだ、とショックでした。

成長するにつれて、「自分のありのままを出しても、だれも受け止めてくれない」と気づいて、自分の本心を隠す癖がついてしまったようにおもいます。高校生ぐらいまでは、そんな想いをかかえ、息も絶え絶え、生きていた気がします。

大学生になってから、すごく生活がおもしろくなってきました。好きなことを勉強できるし、クラスの枠組みがなくていろんな出会いがあって、個性の際立つ人たちがたくさんいて楽しかったし、好きなときに孤独になれるのもよかった。

卒業して社会人になってからも、充実した日々でした。正社員になれなかったことで、現状に満足せず色々なことを考えられた時間でもありました。幸せは人それぞれで、わたしはわたしで、他の人もそれぞれみんなすばらしくて、そういう考え方を丁寧に重ねていけたと思います。

 

遠回りになっても、寄り道をしても、しつこくしつこくわたしらしく働ける場所を探したいです。子どもの頃からおしゃべりは上手じゃなかったけど、そのかわり文章や絵を描いたり、工作したり、何かを熟考したりするのは好きだったから、そういったことで、誰かの役に立ちたいです。みんなと違うことがコンプレックスで自分を抑えて生きてきた10代のこと。ちょっとずつ、そういう自分もさらけ出して、自らの核の部分を放出できればうれしいです。

わたしはこんなに不器用で不安定だけど、いつもまわりには家族や友人やかつての恋人がいてくれました。わたしのこころだけが、いつも揺れていた。しっかりと恩返しがしていけたら。証明写真の枠をとびだしていけたら。