くらすひ

おにぎりと、本と、映画と、雑記。

砂漠とビルとポカリスエット

大学生の頃、芸術と広告をかじる勉強をしていて、テレビCMに関するレポートをかく課題が出ました。PCのフォルダを整理していたら、そのレポートのデータが出てきたのですが、わたし、このコマーシャルにたまらなく心惹かれていたなって、思い出しました。

ポカリスエットのCMなのですが、2010年くらいに放送されていたものだったと思います。わたしはまだ10代だった。北野武の語りと、カラカラに乾いたどこかの国の街と、鉄やコンクリートと、砂漠と、青いパッケージのペットボトルと……。かっこいいなって思いました。

それから、音楽がとてもよくて。toeの曲なのですが、音源化されていなかった(?)ので、動画サイトを無限ループしたりしてずっと聴いていました。夏の日に乗り物などに乗って聴いていると、特別な場所にいるような感じがしました。

toe」は日本のポストロックバンドです。学生時代、滅茶苦茶きいてました。

For Long Tomorrow

For Long Tomorrow

 


このCMはほかのバージョンもあって、どれもスタイリッシュで、壮大で、うつくしく、なんだか強いです。


ポカリスエットCM | たけしと少女 篇

こちらの音楽は「ネルマレ ~After long tomorrow~」(toe feat. Maia Hirasawa)。


その時かいたレポートを自分で読み返してみたのですけど、(とても恥ずかしい。)タイトルに「15秒で終わらない広告」とか、つけてました (とても恥ずかしい。)まずこのCM30秒ですし。
このタイトルの意味がどういうことかというと、たとえば、砂漠のシーンで表示される900という文字と、人間が一日で失う水分が900mlだという説明が語られるシーン。これは、900mlの大きさのペットボトルの商品とリンクさせているようなんですね。(お茶とかだと1L、コーヒーやジュースは900mlが多いです。)でもこのCMをみたところで、ポカリの大きいペットボトルって900mlなんだ~って瞬時に分かるわけじゃないんですよね。だから大事なのは、「後で分かる」ことなんじゃないかって、わたしはレポートに書いてました。実際にお店で見たり、購入するときに、CMの端々にぴんときたりすること。
広告って結局のところ、それを目にしている瞬間だけじゃなくて、生活の中の別の場所でアンテナに引っかかって、さらに興味がわいたり、好きになったりするというか、そういうのが上手なCMは、良いCMなのかもしれません。

ファイルの更新日時は深夜で、わたしって、ちゃんと、なんだかふつうの、大学生だったんだなって、思いました。

とにもかくにもポカリスエットのCMは30年くらいずっと様々な人と、音楽と、デザインでつくられているんですけれど、センス良いな~って思うものが多いので、さいごにいくつかすきなやつをのせておきますね。


糸井重里 森高千里17才 ポカリスエット 二日酔い編
(80年代のものです。キレキレのセンスです)


ポカリスエットCM
(曲はTRICERATOPSです。)


ポカリスエットCM|「踊る始業式」篇 60秒
(今流れているものです。青い粉がチョークを思い出す、青春一直線!踊りたくなります。)


ポカリスエットCM|「カモメと夏がきたならボサノバ」篇 15秒
(これも現在放送しています。かわいいです……。夏が待ち遠しいです。)

ポカリは、ぺこぺこしたやわらかいペットボトルもなんだか好きだし、青色のフィルムも好きだし……おいしいですよね。まぶしい夏はもうすぐ。CMもたくさん流れるかな。

 

証明写真と枠とわたし

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先日、証明写真を撮りました。近所の薬局の前にある、スピード写真です。プリクラみたいに出てきた写真を見たら、なんだか変な顔してました。もやもやしながら、コートの襟元を寄せ合わせて、家までの道のりを早歩きで帰りました。ここに写っているのは、わたしの皮膚の表面のところだけで、きっとわたしは死ぬまで、自分の内側の100パーセントを誰かに伝えることはできないのかもしれないな、と思いました。

これは、小さい頃から感じている感覚で、自分の中には言葉にできない流動体みたいなものがあって、ひとりで過ごしているときは常にそれと対峙しています。だから、人と会うときや話すときと、ひとりでぼうっとしているとき、あるいは本や映画や音楽や絵画などに向き合っているときはそれぞれ別の世界にいるように感じます。これは誰でも感じることなのか分かりませんが、わたしが出来るだけ誰かに伝えたいのは、流動体の部分なのですけど、でも、それがうまくできないのです、生まれてからずっと。

 

わたしは今仕事をしながら、4月から働くであろう別の仕事を探しています。大学の新卒の時の就職活動でも、証明写真を撮るとき、もやもやしていたなーと思い出します。とにもかくにも、面接が苦手だったわたしは、自分の想いなのに、それをうまく伝えられないことで自らを責め続け、抜け殻のようになりながら、ぼろぼろに傷つきながら、卒業旅行にも行けないまま、卒業間際に今の職場に契約社員として就職しました。人に恵まれ、充実した年月をすごしましたが、もっとこうなっていきたいな、という理想ばかりが膨らむ毎日だったように思います。

ほんとうに理想のところへ行くには、いつか自分の中身を全部出せるようにならないと、だめなのかなあ。わかりません。

 

小さい頃から内向的で、ひとりっ子なのもあったのか、家でひとりで過ごすことが好きでした。本ばかり読んで(毎日1冊読んでました。)、妄想に耽っていた気がします。(暗いです・・・。)小学校くらいから、クラスのみんなが楽しんでいることを楽しめなかったり、ひとりだけ異常になにかに没頭してしまうことがあって、なんだかおかしい、窮屈だし、と実感しはじめるようになりました。

小学校4年生の時に突然学校に行けなくなったこともありました。何がくるしいのか、理由が自分でも分かりません。優しい友達がたくさん周りにはいてくれて、心配をしていつも様子を見に来てくれていました。本当に恵まれていたと思います。でも、わけもわからずからだが動かない、涙ばかりが出てくる。考えてもどうしようもないことが、頭の中で旋回していました。例えば、宇宙の果てのこととか、なぜ自分がここに存在するのかとか、自分の命が今、一秒ずつ消費されていっているんだ、とか。それがこわくてこわくて、しょうがなかったのです。どうしてみんな、平気な顔してすごしているの?と思って、わたしはみんなとは違うんだ、とショックでした。

成長するにつれて、「自分のありのままを出しても、だれも受け止めてくれない」と気づいて、自分の本心を隠す癖がついてしまったようにおもいます。高校生ぐらいまでは、そんな想いをかかえ、息も絶え絶え、生きていた気がします。

大学生になってから、すごく生活がおもしろくなってきました。好きなことを勉強できるし、クラスの枠組みがなくていろんな出会いがあって、個性の際立つ人たちがたくさんいて楽しかったし、好きなときに孤独になれるのもよかった。

卒業して社会人になってからも、充実した日々でした。正社員になれなかったことで、現状に満足せず色々なことを考えられた時間でもありました。幸せは人それぞれで、わたしはわたしで、他の人もそれぞれみんなすばらしくて、そういう考え方を丁寧に重ねていけたと思います。

 

遠回りになっても、寄り道をしても、しつこくしつこくわたしらしく働ける場所を探したいです。子どもの頃からおしゃべりは上手じゃなかったけど、そのかわり文章や絵を描いたり、工作したり、何かを熟考したりするのは好きだったから、そういったことで、誰かの役に立ちたいです。みんなと違うことがコンプレックスで自分を抑えて生きてきた10代のこと。ちょっとずつ、そういう自分もさらけ出して、自らの核の部分を放出できればうれしいです。

わたしはこんなに不器用で不安定だけど、いつもまわりには家族や友人やかつての恋人がいてくれました。わたしのこころだけが、いつも揺れていた。しっかりと恩返しがしていけたら。証明写真の枠をとびだしていけたら。

 

 

パーティーで流す音楽を―映画「さざなみ」

「パーティーはあまり好きではないの」結婚をしてから、45年の記念日をパーティーで祝う予定の夫婦。シャーロット・ランプリング演じる主人公がドレスを選びながらつぶやいています。(彼女の演技がすばらしかった。ほんとうに。)

屋根裏部屋で、夫の昔の恋人のフィルムをみつけてしまう。彼女はもう死んでいて、だけどもし彼女が生きていれば、結婚していただろうと漏らす夫。「パーティーのBGMに何を流しますか。」という電話がパーティー会場からかかってくる。心を波立たせている主人公がとっさに選んでいる曲がどれもかっこよくて、いてもたってもいられなくなったので、ここにまとめておきます。

 


Happy Together - Turtles

 


For What It's Worth - Buffalo Springfield

 


Marvin Gaye - Your Precious Love

 


Jackie Wilson - Higher & Higher Official Video
(PVがガンガンにかっこいいです…。)

 


Platters - Smoke Gets In Your Eyes
(こちらは「プラターズの『煙が目にしみる』もお願い」みたいな感じで、これだけ訳したタイトルで字幕がつけられていたのもいいですね…単純に訳の方が有名だからかもしれませんけれど、日本語ってうつくしいですね。)

 

どれも大人の夫婦のパーティーで、踊りながら聞きたい曲ですけれど、主人公の焦りとくるしみの心の内をめぐって出てきた曲と捉えたら、涙が出てきそうです。若き日のふたりの思い出の曲なのかもしれません。あえて全く興味のない曲だったのかもしれません。分からないですけれど、いろいろ想像をふくらませて、映画の余韻にひたるのは特別な時間です。

 

さざなみ [DVD]

さざなみ [DVD]

 

 映画「さざなみ」。邦題もぐっときます。このDVDのパッケージも。夫の顔が見切れています。夫は過去をみつめているのかもしれません。男と女は別の生き物だから、きっとわかり合えることは一生ないのでしょう。ラストシーンは強烈でした。わたしは主人公の気持ちが分かったので、やっぱり自分って女なんだな、と思ってはっとしました。すごく不思議な気持ちです。しばらく、この音楽たちが耳から離れなさそうです。

映画「ぼくとアールと彼女のさよなら」

あらすじ

スクールカーストのどの位置にも属さないように過ごす「ぼく」は、敵もつくらなければ仲間もつくらない自己評価の低い高校生。唯一「仕事仲間」と呼ぶ黒人の「アール」とだけ、過去の名作と言われる映画の数々をパロディにして作品をつくっていました。そんな主人公のもとに「彼女」、白血病のレイチェルとすごす日々がやってきます。その関わりの中で「ぼく」に変化が訪れるのでした。

大切な人の死をみつめる青春ムービー

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日々をやり過ごす主人公と、病気と闘う女の子、そこで生まれる恋愛感情……。をはじめは想像して、観るかどうか迷っていたのですが。このワンシーンの写真がなんとなく好きだったので観てみました。ぼくと、アールと、彼女が階段に座って、アイスキャンデーを食べるシーン。大好きなシーンになりました。このアイス、赤と白と青の三色になっていて、うっとり。ファッション、部屋のインテリア、パロディ映画のパッケージなど、ビジュアル面はとってもキュートです。

ストーリーはテンポ良く進み、彼女の病気もさらっとえがかれ、それがとてもよかったです。ぼくと彼女が恋愛関係にならなかったのも。これは重要なところです。ふたりはうっかり、キスでもしてしまうの?と思っていたけれど、ふたりは「友達」であるわけで、ほっとしました。

大切な人の死を見つめる青春ムービー、に違いはないのですが、その見せ方が軽いタッチで、それがやけに胸をあつくさせるのでした。

 

くるしいし、かなしいけど

主人公は人となれ合わないことで、日々に波風をたてないようにすごしていました。でも、彼女と出会ったことで、他人に感情をぶつけたり、アールと喧嘩したり、心をかきみだされたりします。だれかと深く関わると、ときにかなしくくるしいけど、それと同じだけの幸福もやってくるものです。

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(アールの眠たげなまなざしと、いつもかぶっている帽子がとてもオシャレ)

主人公と彼女の関係性に、アールがスパイスを加えます。干渉しすぎない、でも、なんだかんだ信頼し合っている。かっこいいです。

 

 

 日本では劇場公開されなかったようですが、たくさんのひとに観てもらいたいなと感じる作品でした。

中華料理屋にて

年が明けました。今年もよろしくお願いします。


最近、夏から会っていなかった友人と会いました。遅くなったけど、と誕生日プレゼントに口紅をくれたのですが、「いつもどんな色のやつを塗っているか分からなかったんだけど、元々のくちびるの色が濃いイメージだったから」と彼女はいいます。「なんで分かるの、すごい」と言ったら、笑ってました。とてもうれしかった。

 

彼女は三人姉妹の末っ子で、とても素直でとても素敵な言葉をくれる友人です。以前、彼女が当時の恋人と別れざるをえなかったとき、わたしはその話をじっと聞いていました。そこは中華料理屋さんでした。彼女のその恋人に対する愛情も誠実さも全部知っていたので、わたしもくるしかったし、それでも何もしてあげられることはないし、「それだけの力を尽くしたのだから、きっとどこかへまたきちんと導かれるのだと思う」というようなことを、つっかえながら言うことしかできませんでいた。

だけど彼女はわたしが話し出すとみるみる目に涙を浮かべて、「ほかの誰に話してもこんなことなかったのに、不思議とかなしくなる。泣けてくる。」と言って、泣き始めました。

もっと、気のきいたことや、根拠のあるようなことを言ってあげられたらな、と思ったのですが、彼女が泣いているのを見ていると、「これからもずっと友だちでいてね」と言う気持ちばかりがあふれてきて、中華料理屋さんのペーパータオルをずっと彼女に差し出すことしかできませんでした。

かなしいときに、それを全部あらわにしてくれて、うれしかったです。

彼女もあの日、小籠包を全部平らげていたから、よかったなと思います。

 

彼女のくれた口紅はとても綺麗な色です。

映画「怒り」感想―信じるということ

映画「怒り」

第41回報知映画賞ノミネートが決まったとのこと。9部門の最多のノミネートとなったのが、映画「怒り」でした。

まだ夏の暑さが残っていた3ヶ月程前、わたしも映画館へ足を運びました。原作は吉田修一。元々小説を先に読んでいました。下巻からの展開は胸がくるしくて、何度も本を閉じながら、読み進めたのを覚えています。

怒り(上) (中公文庫)

怒り(上) (中公文庫)

 

住宅街の写真に怒りの文字が書きなぐられている装丁。映画の最初のシーンも、住宅街の空撮映像からはじまります。

映画を観終わったとき、しばらく胸がじんじんして、動けなくなりそうでした。ずっと映画館の暗闇の中にいたかった。(エンドロールの間も何人かの人が鼻をすする音が聞こえてきて、あ~つられて泣いてしまう~って思いました。)キャストが発表されたとき、その豪華な顔ぶれが各メディアで話題になっていました。わたしも好きな俳優さんばかりで期待していましたが、やっぱり俳優さんの演技力に魅せられた作品だったと思います。あの日映画館の暗闇で感じたことを、ちょっとだけここにかいておきます。

あらすじ 

ある夏の暑い日に起こった夫婦殺人事件の犯人が逃亡してから一年後、千葉と東京と沖縄に、素性の知れない三人の男が現れます。この三箇所を拠点に、彼らと出会った人々それぞれの、三つの物語が同時に進んでいきます。男と少しずつ打ち解け、おだやかな生活が続いていたころ、新たに警察から公開された手配写真。出会った男に、愛した男に、信じた男に、その写真の顔が似ていたのです。愛した人が、殺人犯かもしれない。そこで繰り広げられる人間模様がえがかれています。

それぞれの「怒り」

この作品のタイトル。殺人犯は犯罪の現場に、「怒」の文字をかきつけて姿を消します。犯人は何に怒っていたのか、社会になのか、特定の人になのか、あるいは自分になのか、最後まで、直接犯人の口からこぼれることはありません。事件モノのストーリーは、そういった動機に焦点が当てられることも多いですが、この映画が描きたかったのは、きっとそこではないのですよね。

例えば、誰かにからだとこころを傷つけられたときの「怒り」。

例えば、信じていた人に、裏切られたときの「怒り」。

例えば、大切な人を疑うということの意味と、その相手が無実だったことが明らかになったとき生まれる、自分への「怒り」。

私たちが人と関わるとき多かれ少なかれ生じる「怒り」という感情が、どういうものなのか。時に人を傷つけるかもしれないし、もしかしたら誰かを守るパワーになるかもしれない。暴力的だけど、失うと生気がなくなってしまう。喜びや悲しみには含まれていない、人間の「怒り」という感情のことをあらためてみつめられた気がします。

誰しも信じたいし、正しくありたい

この映画では「ふつう」の人たちがたくさんでてました。みんな、心配事や悩みをかかえて、今よりもうちょっと幸せになりたいなと思っている。そんな生活の中で新たに出会った人のことを、愛したいし、信じたいと思っている。できるだけ、正しくいきていたいと思っている。だからこそ、時々、うまくいかなくなる。でも、なんとかそこにしがみつくしかないんですよね。そういう感情を表現されていた俳優さんと、演出に拍手です。

また、くるしいおもいをしながら、観たい映画です。

 


「怒り」

余談ですが、この予告でも流れている音楽がすごく好きでした。
映画館で大音量で聴いて、涙が出た曲です。

 

友人と過ごす土曜日の話

長らく体調をくずしていたので、休日を友人と過ごすのは久しぶりでした。(しばらく仕事以外の日は、家にこもって部屋を片付けたり、録画しておいた映画をみたりしていた。)家を出る直前に、夜から降り続いていた雨が上がって、空は曇っていたけどあたたかい。駅の改札を抜けてきた友人に「雨やんで良かったね」と言うと、「そうだね」と笑っていました。

二人でお昼ごはんをたべて、街を一緒に歩いて、気になったお店があったらのぞいたりして、タリーズコーヒーに入ってコーヒーを飲みます。友人は角切りにしたイチゴが入ったアイスティー。それをすべて飲み終わって、カップの底にイチゴが残っていたので、「これって食べないの?」と聞いたら、「食べたいけど、吸えない」と言ってストローをもてあそんでいました。(完璧にストローが細い。)友人はカウンターまで行って、プラスチックの小さいスプーンをとってきて、カップのふたやストローをとって机に転がし、(その様子が不安定で「なにかのオブジェみたい」と言ったら笑っていた。)イチゴをぱくりと食べました。「あっ、おいしい!」と友人は目を丸くします。別におもしろくもなんともないけど、わたしはなんだか声を出して笑ってしまった。

わたしは時々、すごく不思議に思います。ただの言葉のやりとりが、その空間、その瞬間、そのふたりの関係性の中でだけ、すごく輝いたりすること。残念ながら、言葉は発した瞬間に消えていって、記憶の中からも薄れていってしまうけど、相手のことをまた好きになる感覚はちゃんとつもっていく。

ふと、休日に一緒にすごす友人がいて、ケラケラ笑っていることが、ありふれているようでとてもありがたいことだと感じます。大袈裟だけど、友人の休日のひととき、つまりは人生の一部を、わたしと過ごそうって決めてくれたということだから。

友人は来週、誕生日を迎えます。ずいぶん前から恋人に「予定空けておいて。」とだけ言われていたそう。けど、「昨日電話がかかってきて。ちょっと今から考える。って言ってた。まだ何も考えてないんか~い」ってこぼしてました。でも、うれしそう。どうか、いい日になるように。