くらすひ

ぼんやりしているくらしの雑記

日々:あとがき

夏のはじまりとともに、地震や大雨がつづく近頃。被害に遭われた方々には、心よりお見舞い申し上げます。心のざわめきとともに、「日々」というショートストーリーを書きました。

ごはんとアパート - 日々...

先日、このお話を読んでくださった方からご感想をいただきました。「地震の時に感じた気持ち、肝心な時、好きな人がそばにいないということをおもって、すごく泣きました。」というようなことを、伝えてくださいました。「泣けていなかったことに気づかず、自分の気持ちをないがしろにして、平然と過ごしてしまいがちなので」とも。

 

大阪の北部で地震が起こった日、わたしの住む町も震度5の揺れがおこりましたが、幸いにも家族や職場の方々ともに、大きな被害はありませんでした。すでに出勤している人も多かったため、あの日のわたしには、いつも通りの日々が通り過ぎていきました。

いつもと同じように、お昼休みにお弁当をレンジで一分、あたためます。レンジから発光するオレンジのひかりをぼうっと見ているわたし。その光景の平凡さ。つまらなくもあり、安穏ともとれる、日々の中の間延びした一瞬です。だけども、その日レンジをみつめながら思うことは、通勤途中、バスの中で一斉になり始めた緊急地震速報のアラームであり、震源地近くに住む友人や知人のことであり、ニュースで見た電子レンジが倒れ転げる映像であったのです。

 

駅のホームで電車を待つだの、ラーメン屋さんへ行くだの、畳の上でごろごろしているだの、わたしがいつもかくお話は、そういうことばかり。どうでもいいことばかりで、だけど、わたしの生活はそういうことの繰り返しであって、その堆積がわたしの日々です。

そしてたまにこうやって、何かを失う恐怖や、自分の力では抗えないものへの絶望なんかが、堆積の隙間に突然はいりこんでくるのも、生活というものなのでしょう。時々、忘れてはいけない、と心に誓いながら、いつの間にかまた忘れ、だけどだからこそ毎日を生きていけるのでしょう。

そういう気持ちを、なにか形にしておきたいと思いました。会社の給湯室で大切な人を想い、涙をこらえながらくしゃくしゃのティッシュをみつめる。鶏の照り焼きのにおいがただよう。レンジのお掃除をする。そういうときの感情や行為を、ずっと信じていられたらと、そう思いました。

 

お話を読んでくださった方、ご感想をくださった方、ほんとうにありがとうございました。文字にして並べた思いを通い合わせて、時に、涙してくださる方がいるという事実。感謝や愛をまぜこぜにして、これからもくだらない日々のことを、かいていけたらいいなと思っています。夏の暑い夜、Tシャツに短パン姿で布団に潜り込み、強い眠気の中で頬と二の腕の内側に感じる、タオル地の枕カバーのやわらかさ。今日がいつも通りだから、そこにあってくれるものをいとおしんで。みなさんが今日も、安心してよく眠れたらいいなと思います。